• 桜井こけし店

    櫻井昭寛、櫻井尚道

    伝統こけしは師匠が作っていた型(形や頭飾り、胴模様など)を継承するのが基本。櫻井家は鳴子系こけしの名工と呼ばれた大沼岩蔵をルーツとする。さらに大沼一族の弟子たちが生み出した個性豊かなこけしを受け継いでいるため、鳴子系の中でも手がけている型が多い。師匠から弟子へ、親から子へと伝わってきた系譜をたどるのも伝統こけしの楽しみ方の一つだ。

    鳴子系こけしでは、はめ込み式と呼ばれる頭と胴の接合技法を用いている。胴に開けた穴よりも太く作った頭の首を、ろくろの回転を利用して一気にはめ込んでいる。首をまわすとキイキイと音が鳴るのも特徴の一つ。

    伝統こけし工人は木地を荒削りするカンナ棒や馬(カンナ棒を置く台)などの道具を自分が使いやすいように自分で作る。炉で鉄を熱し、打ち鍛える鍛冶仕事もこけし工人には欠かせない大切な仕事だ。

    6代目の尚道さん。4代目である祖父・昭二さんが使っていた足踏みろくろの伝統も継承している。一方向に回転し続ける電動ろくろと異なり、正転と逆転を繰り返すのでカンナ棒を当てて削るタイミングが難しい。鳴子のこけし工人の中でも使いこなせる人は数少ない。

  • 伝えるこけしと、広げるこけし

     昭和39年、東京オリンピックで各国の選手団に日本土産として渡されたのは、鳴子中学校のこけしクラブの生徒たちが作り上げた約1万2千本のこけし。「今思えばそれが自然と家業を継ぐことになったきっかけ」と振り返るのは、当時中学1年生でこけし作りに携わった『桜井こけし店』の5代目・櫻井昭寛さん。以来、先人たちが作ってきた鳴子系伝統こけしを作り続けてきた。
     昭寛さんの長男である尚道さんも家業を継ぐのは自然な流れと考えていたが、予想に反して両親から言われたのは「継がせたくない」という言葉。苦労をさせたくないという親心からだった。尚道さんもその言葉に従い、高等専門学校卒業後は東京で建築関係の会社に就職。それでも「大好きなこけしを作りたい」という思いがあった尚道さんは、平成26年に東京からUターン。翌年から修行を始めた。客足が減少する鳴子温泉街や店の状況を鑑みて尚道さんが真っ先に考えたのは、こけしをどう次の世代へつなげていくかということ。その活路の一つとして見出したのが海外への販路開拓だ。「フランス・パリに狙いを定めてマーケティングを行い、市場調査や小売店へのヒアリングをもとにした商品開発を行いました。そうして生まれたのがパステルカラーや蛍光色で描彩した創作こけしです」。国際見本市の出展では10社以上と商談がまとまった。最近はこけしの原点に立ち返り、天然染料を使用したニューラインである〝Utakata〟を発表。尚道さんは「伝統的なものは守りながら、新しいこけしを介して、こけし文化や鳴子温泉について知ってもらえたらうれしい」と独自の試みを続けている。

    5代目の昭寛さん。地元開催の全国こけし祭りや宮城県白石市の全日本こけしコンクールでの受賞多数。