• 掬水・淘水

    (きくすい・とうすい)

    桜井和男、桜井亮

    駒彫り台で駒を固定し、印刀で一つひとつ彫る。台や印刀の持ち手など工程で使う道具も自作することが多い。彫駒の場合は彫って目止めしたあとに漆を入れ、目の細かいやすりで研ぎ出し、瀬戸物で表面を磨く瀬戸引きをして仕上げる。

    盛上駒は彫った文字を錆漆で埋めたあと研ぎだして仕上げた彫埋駒の上にさらに蒔絵筆で漆を丁寧にのせて文字を浮き出たせていく。漆を均一にして、文字に立体感を出していくには技術を要するため、全国的に盛上師の人数はごくわずか。

    最高級品である盛上駒に使用される木地は御蔵島産(東京都)か薩摩産(鹿児島県)のツゲ。桜井さん親子は木目が緻密で固い伊豆諸島・御蔵島産のツゲを使用。原木を切り出し、板材に製材してもらった材を現地から仕入れ、4~5年乾燥させたあと自宅の作業場で木地を形づくっていく。切り出した部分によって柾目や杢、斑といった木目の入り方が異なるので、40枚の駒がならんだ時に模様や色味が揃うよう選別するのも大切な仕事。

    漆芸で蒔絵を施すときに使う、ネコの毛を束ねた蒔絵筆を使用。先が広がらず、細かい線を書くことができる。

  • 親子で追及し続ける天童の高級将棋駒

     「天童の将棋駒は日本の将棋文化、愛好者たちを支えてきたという実績はありましたが、対局用の高級駒に関しては東京の駒に大きく遅れをとっていました」と話すのは 、〝掬水〟の雅号で将棋駒の最高級品、「盛上駒」を作り続ける駒師・桜井和男さん。天童の将棋駒のレベルと地位を向上した立役者の一人。
     今や〝将棋駒といえば天童〟と連想する人が多いが、実はプロの対局に使用されるようになったのは、昭和55年からと比較的歴史が浅い。23歳で駒師の道に進んだ和男さんは兄弟子の〝天童から対局に使われる駒を出したい〟という熱意に導かれ、「盛上駒」を作るようになった。「漆を使用した盛上も書体の研究もほとんど独学。天童で盛上駒の技術を持つ人はいなかったので、とにかく何年も漆との戦いが続いた」と当時を振り返る。次第に天童の駒師の仕事が評価され始め、昭和55年の第29期王将戦で初めて天童の駒が盤上に。和男さん自身の盛上駒も昭和60年のタイトル戦で使用され、天童の高級駒の名を世に知らしめた。
     長男の亮さん(雅号:淘水)は、天童将棋駒の底上げに努めてきた和男さんの姿を見て「継げとは言われませんでしたが、技術をしっかり身に着けることができれば、自分の生業として続けていくことができる」と確信し、平成8年から駒作りをスタート。父譲りのセンスと勤勉な姿勢で着実に腕を磨き、平成16年には初めて公式タイトル戦で駒が使用されるまでに。名工である父の背中に追いつこうと日々、木と漆に向き合っている。親から子へと継承され、盛上駒作りの伝統はこれからも続いていく。

    世襲制が珍しい将棋駒の世界において伝統をつなぐ和男さんと亮さん。現在は長女の絵美さんも“小楠”の雅号で彫駒を手がける駒師。親子3人で駒づくりに向き合う。